20代前半の畑中はそれまでの商社を辞めて、水商売の世界に入る。はたして、愛読小説の中に見た男たちの壮絶なドラマは繰り広げられたのか?想像に描いていた通りの実力の世界だったのか?これは畑中が若かりし頃・・・20年程前の物語である・・・

2009年04月01日

第六話

私は奥の事務室に向かった。

次長が座っている。

私はこの男の、眼鏡の奥の狡猾そうな視線がとても嫌いだった。

ドアを閉め、突っ立っていた私に椅子を指差し、座るように促した。

眼はこちらを向いていない。

私は座った。

微笑んでいる。

ライターを手の中で弄びながら微笑んでいる。

早く話を始めてくれ。

私は心の中で叫んだ。

永い沈黙が、私になぜここにいるのかを分からなくさせる。

「お前は遅刻をするような奴じゃない。
嘘もつくような奴じゃないよ。
お前はまだ入って間もない頃、次長のこの俺に向かって、自分はキャバクラに来る客の気持ちが分からない、客に売っているモノは何か?と訊いてきたな。
俺が女だと答えるとお前は違うと言って、空間と雰囲気じゃないのかと答えた。
俺はそれも売り物のひとつだと言った事があったな。
随分、真っ直ぐな奴が入ってきたと思ったよ。
お前は絶対に俺に嘘はつけない。
飲みに行った事を叱るつもりは無いよ。
ただ店に穴を開けるような飲み方を、部下と一緒にしてしまう店長を、お前はどう思う?」

下を向きライターを弄んでいる。

そのままだった。

「駄目ですね。
俺が言えるような立場じゃありませんが、この店の店長としては失格です」

「そうだよな。
お前にも部下がいるんだ。
もう同じ間違いはしないでくれ」

「わかりました。
申し訳ありません」

まったく関心がなさそうに、こちらを向かない。

この会社の性質か、水商売の性質か、私以外の者は上司から部下まで殆んどが、誰かしら毎日遅刻していた。

皆、自分の上司に張り倒され、減俸を食らうだけで処分は終わりだった。

遅刻の事で次長から叱責を受ける者はいない。

次長は煙草を咥え、火をつけた。

私の頭の中では、もう話は終わりじゃないのかと言い続けていた。

早くここから出してくれ。

「お前も吸えよ」

言われた通り火をつけた。

話は終わりじゃない。

感じた。

吸うたびにチリチリと煙草が燃えていく音だけが聞えてくる。

質問もしてこない。

永い。

空気が重く圧し掛かってくる。

私の指先からポトリと床に灰が落ちた。

私は次長を見た。

次長は眼だけでこちらを見ていた。

「何を話した?」

もう微笑んでもいない。

「誰とでしょう?」

「外谷とさ」

眼鏡の奥の眼だけで私を見ている。

「店の話・・・今、売り上げがどうとか・・・」

実際、はじめはそんな話もしていた。

「いつだ?」

「昨晩の話をしているんですよ」

「いつ店を出すんだ?」

「・・・」

頭の中が真っ白になった。

いきなり来た。

既に知っている。

武田が喋ったのか・・・。

また灰がポトリと床に落ちた。

私は灰皿を引き寄せ煙草を消した。

もう知っている。

腹を決めるしかない。



私は次長の眼をしっかりと見た。

「俺は・・・話すつもりありません。
嘘をつくつもりもありません。
実際、昨日は店の売り上げの話もしましたけど、他の話もしました。
だけど・・・それを今ここでするつもりも、ありません」

フッと笑顔になった。

眼だけが笑っていない。

次長が煙草を消す。

「お前が武田と同じ方法で喋るとは、はじめから思っていないよ。
しかし、お前はこうやって店に穴を開けた外谷の肩を持つのか?」

「別に誰の肩を持つとか味方するとか、誰につくとかいう事じゃありません」

「外谷に誰にも言うなと約束させられたのか?」

「そういう事ではなく、自分の中でこの話は誰にもしないと決めてしまったので、周りがどう動こうと話すつもりはないという事です。
しかし、その話によって俺も動こうとは思っていません」

この男にはこれで充分だと思った。あとは巧く逃げるしかない。

「どこなんだ?」

黙っていた。

何も考えないようにした。

腹を決めてしまえばこんなものだ。

殆んど同時に、煙草に火をつける。

私は次長を見据えた。

笑っていない。

眼が合ったままだ。

沈黙が嫌ではなくなった。

頭の中で数をかぞえていた。

三百。

恐らく私の表情は、もう、どうでもいいような感じになっていた。

「俺が脅しても殴っても喋らない男だという事を、ご存知だという事ですよね」

眼は合ったままだ。

指が焼けたのか次長は一瞬驚いたような顔になり、自分の指先に眼をくれると急いで煙草をもみ消した。

私の番だった。

灰皿を引き寄せ、ゆっくりと煙草を消す。

「これ以上話していても、店に迷惑がかかるだけですから仕事に戻ります」

私が立ち上がっても、次長は止めようともしない。

一礼し、店内へ戻って行く。



私は、殴られれば口を割ってしまうような男かも知れなかった。

しかし、自分の中で決め事をつくり、守る。

そして、人の印象は他人が勝手に築き上げていく。

フロントに行き武田の腹に軽くオミマイした。

武田がうずくまりながら「喋ってすいません」と言い、私は笑って仕事に戻った。

次長が冷めた表情で店から出て行く。

営業が終わり、私は外谷に報告を入れた。

「それは、たぶん武田が全部喋ったな。
まあ、はじめからあいつには口を切ってもらうつもりだった。
予定より少し早かったがね。
もう、お前もそこに長くは居られないな。
早いトコばっくれて、合図があったらすぐに動けるようにしておけよ」

電話を切った。

私はまだ返事をしていない。

もう、水商売はいい。



次の日の朝礼で、次長は店長が解雇になった事を発表した。

女の子たちは大騒ぎだった。

そして支配人の佐々木が副店長に昇格した。

店長と名の付く者がいなくなったのだ。

タイミングが悪いとは思ったが、私は今回の事とは関係なく、あと一ヶ月で店を辞めさせてくれと佐々木に言った。

佐々木とは色々あったが、人間性は悪い奴ではなく、私のことも可愛がってくれ、辞めたい理由を納得し、私の為にと、店に引き止めるのを諦めてくれた。

それから次長は何度か店に顔を見せたが、挨拶をしても私の事は無視だった。

そんな時、私は「あんたは女か・・・」と呟くのだった。

しばらくすると、赤上が失踪したという情報が流れてきたが、彼からも直接連絡が来て、プリンスの寮を抜け出し、八王子の店舗の為に準備をしていると語っていた。

私は八王子に行く気がない事を伝えたが、とにかく、西さんという人に会ってくれという事で、一方的に話は終わらされた。



辞職を受け入れられた私は以前より活気を出して、担当コンパニオンの売り上げを伸ばし、女の子の面倒もよくみていた。

「発つ鳥、あとを濁さず」が好きなのだ。

きれいに辞める。

今までもそうしてきた。

忙しくて出来なかった常連のボトル台帳も、きれいにまとめあげた。

営業中も以前よりさらにキビキビとし、ウェイターに一喝入れ、女の子に話しかけて指示を与え、客に最高の笑顔で応対し、恭しくお辞儀をした。

佐々木は嬉しそうだった。

「そうか畑中ちゃん。
やる気を出してくれたか!」

「いえ、違います。
いいかげんなまま辞めたくないだけですよ」

「それは、こっちにとっては残酷な事だぞ。
出来る男が辞めていくのを、ただ眺めている事になる。
お前は見せ付けたいのか?」

「そんなつもりはありません。
しかし・・・」

「わかったよ。
無理強いはしないよ」

佐々木の態度は以前と全く変わりなかった。



私が辞める日まであと二週間と少し、という頃だ。

営業が終わるとドカドカと、スカウトの為に会社で雇っている若い衆たちがやってきた。

「畑中!おい畑中!」

呼び捨てとは何事だ。

上下関係の明確なこの世界で、下の者から名前を呼び捨てにされたのは初めてであり、私もいきり立った。

しかし、後ろから次長もやってきている。

次長と一塊になっている集団を見て、私は呆然とした。  


Posted by H (agent045) at 02:00第六話