20代前半の畑中はそれまでの商社を辞めて、水商売の世界に入る。はたして、愛読小説の中に見た男たちの壮絶なドラマは繰り広げられたのか?想像に描いていた通りの実力の世界だったのか?これは畑中が若かりし頃・・・20年程前の物語である・・・

2009年04月01日

最終話

「てめぇ!こっち来て座れよ!」

腕を引いて連れて行かれた。

店のVIPルームだ。

次長はホールのシートに座り、煙草をふかしていた。

「おめぇ辞めんのかよ!
あんなに可愛がってくれた次長や佐々木さんに恩は感じねぇのか!
おいっ!」

「恩は感じているが、お前らには関係ないよ」

「ふざけんじゃねぇぞ!
そんなんじゃ恩を感じてるなんて言えねえよ!
女も引き抜いて他の店に行くつもりなんだろうが!」

「別に他の店に行くつもりもないし、女を引き抜くなんて事もありえない」

「嘘つけよてめぇ!
じゃ、なんでコンパニオンがおめぇ辞める事知ってんだよ!
皆、動揺してんぞ!
店潰す気かよ!」

「俺は女に喋ってないよ。
副店長と、そこにいるお前にしか喋っていないんだ、高山」

喚いている男の隣に高山は立っていた。

高山は私と馬が合い、よく一緒に二人組みの女の子を捉まえて、スカウトをしたものだ。

大変な苦労を経験している奴で、事情があり一緒に暮らしている自分の恋人までも、この店に入店させていた。

コンパニオンたちに噂を流したのは恐らく、その彼女だろう。

「俺か?
俺は確かに彩に話しちまったけど、俺か・・・。
でもよ畑中さん。
やっぱり、あんたのしようとしている事は筋違いなんじゃねぇのか?」

「筋違いも何も、俺は自分が水商売に向いていないから辞めるんだ。
そして、一ヶ月前にその事は上司に伝えている」

また煩い男だった。

「辞める人間がなんでバリバリ働いて、コンパニオンの売り上げを伸ばしてんだよ!」

向きなおして言った。

「俺にとっては、それが筋を通す事なんだ」

次長が来て「まあ皆、座って話したらどうだ?」と言った。

この男か。

またこの男が皆に嗾けたんだ。

私の方は見ようともしない。

皆、座った。

VIPルームには仕切りの壁は無く、ホールよりも一段高くなっているだけで、ホールとの境は柵で仕切られている。

VIPルームの入口はひとつで中にボックス席がふたつ。

そのふたつのボックス席に男たちがビッシリと座っていた。

「てめぇ外谷のトコに行くんだろうが!」

「行くつもりはない」

「じゃ、なんで辞めんだよ!」

「水商売を続けていく気が無くなっただけだ」

「嘘つけよ!てめぇ、やんぞ!」

襟首をつかまれ、立った。

と同時に皆が席を立つ。

襟首はつかんだ方の負けだ。

私はつかまれた側の腕を内側から上へ突き出し、相手の腕に腕を乗せるようなカタチで相手の首をつかんだ。

そこに次長が怒鳴った。

「おい!すわれ!」

皆がハッとし、座った。

私たちも手を放し、座った。

危ないところだった。

ここで喧嘩をすれば無法を働く従業員として警察へ突き出されてしまう。

知っている。

そんな手でも平気で使う奴だった。

次長が近づいてくる。

「俺は、お前の事を買ってんだよ、畑中。
辞めて欲しくない。
そして、コイツもお前の事を買っている」

次長は言って、佐々木を顎でしゃくった。

佐々木は下を向いたまま、VIPルームのすぐ下のシートに座っていた。

佐々木は昔、私の事を以前の店長と仲が良かったからと言って、殴りかかってきた上司だ。

だが悪い奴ではない。

「俺は佐々木さんの事、好きですよ。
でも、それと」

「その佐々木さんの気持ちを、裏切ろうとしてんじゃねぇかよ!」

また、男が喚いた。

埒があかず、私は何を言われても、もう口を開かなかった。



「もういい。
もう一度よく考えてくれ、畑中」

次長が背中を見せて叫ぶ。

「おい、お前ら!もう行くぞ!」

男たちを連れて、次長が出て行った。

店に静けさだけが残った。

黙ったまま私たちは帰り仕度をはじめた。

店を施錠する音が、やけに大きく響く。

同じ店のスタッフを乗せたエレベーターの中で佐々木が囁いた。

「店の鍵と、会社の車の鍵を渡せ。
辞めるつもりなら、もう明日から来るな。
今日までの分の給料は銀行に振り込んでやる」

私は鍵を一式、佐々木の掌にのせた。

「今日は店部長の車で送ってもらえ。
ただ俺は・・・明日、普通に出勤してくるお前の姿を見たい」

私は頭を下げ、店部長である田岡の車の助手席に乗り込んだ。

田岡は無言のまま私を家まで送り届けた。

彼は若い頃から水商売一筋の初老の男で、とても面倒見がよかった。

別れ際も何も言わず、一瞬、私を見て微笑むと滑るように車を発進させ、すぐに見えなくなった。



霧雨の降る、蒸し暑い朝だった。






三日後あたりから携帯電話の呼び出し音が、止めどなく鳴った。

上司、同僚、コンパニオン。

佐々木からの電話には出て、もう一度はっきりと断り、口座番号を伝えた。

もうひとつ憶えのない、知らない電話番号からも呼び出し音が鳴った。

しばらく考え、私は出る事にした。

「おー畑中か?森田だよ。
もう戻らないのか?・・・そうか。
仕事は見つかったのか?・・・そうか。
分かった。
気が変わったら連絡してこいよ。
それから、もう大丈夫だから安心して暮らせよ。
じゃあな」

本社本部の森田専務だった。

話した事は一度もない。

会議の時、前で話しているところを眺めるくらいだった。

店にも客のようにして何度か飲みに来た事があったが、直接は知らない。

彼からの電話は未だに謎である。



一年後、次長はクビになった。

そして、私は離婚をした。



水商売。

客の人気によって収入が左右される、流行り廃りのはげしい商売。

よく言ったものである。

そう、売り上げなど関係ないところでも、明日をも知れない商売だった。

今日の上司が明日の部下というのも、ここでは当たり前だった。

実力主義なのは、結構な事だし、ここでは述べる事が出来なかった、男らしい気持ちのいい瞬間を味わう事もあった。

それでも水商売の世界は、相手を疑う、裏切る、陥れる、という意地汚い女々しいモノを多分に含んでいた。






さて、私は何をして暮らそうか・・・。






  


Posted by H (agent045) at 01:00Comments(6)最終話