20代前半の畑中はそれまでの商社を辞めて、水商売の世界に入る。はたして、愛読小説の中に見た男たちの壮絶なドラマは繰り広げられたのか?想像に描いていた通りの実力の世界だったのか?これは畑中が若かりし頃・・・20年程前の物語である・・・

2009年04月01日

第二話

掃除やセッティングでは、ドリンク作り、カクテル作りで雇われているパントリーの中国人がカタコトの日本語で、なぜか命令してきていた。

皆、相手にせず、馬鹿にした態度で彼の命令を無視したが、私は気持ち良く彼の命令に聞き従い、初日の内に彼と打ち解けあった。

いちばん店のことを知っており、彼の言う事に間違いはなかった。

むしろ売り上げまで気にしている様子で、昨日の売り上げを私に教え、今日の売上目標を立たせるのだ。

私はパントリーの人間の歩合給も、売り上げにより大きく変わるのだと勝手に考えていた。



十九時に朝礼。

新人は皆ウェイターである。

元気良く返事をして応対する事、迅速な動きで間違えない事、コンパニオンと会話をしない事、もし、会話をするとしたら、お客様としての扱いをする事を求められた。

そして、営業が始まる。

コンパニオンは客に対するのとは、明らかに異なる態度でオーダーし、少しでも遅いと客には聞こえないように、耳元で罵声を浴びせるのだった。

私は誰よりも早く、誰よりも明るく、そして誰よりも丁寧な応対を徹底し、召使いのように扱われる事が、まるで快楽でもあるかのように振舞った。

時間制の店なので客の回転率も早く、ウェイターは皆、汗まみれとなる。



営業終了後も女の子との会話は許されなかった。

私にとっては都合が良かったが、他の新人は隠れて話していたし、コンパニオンも話し掛けてきたり、チョッカイ出してきたりしていた。

私は無視するか、執事が主人に対するような話し方で接した。

トップナンバークラスの女の子たちは、私のそれが、とても、お気に入りだった。



一週間も経つと次第に仕事がしやすくなっていた。

実のところ女の子はウェイターの動きをよく見ていて、よく動く人間、客に好まれる人間を定め、自分の仕事がスムーズに運ぶウェイターだけにオーダーし、またそのウェイターを認めてもいるのだった。

私は大忙しだったが、むしろ、それは快感でもあり、コンパニオンの我儘も少なく、仕事自体は円滑に進んだ。

二ヵ月後くらいには楽しんで仕事をこなせるようになっていた。

私にはウェイターが向いているのではないかと思うくらいに。

一組の客が帰り、テーブルを片付けて戻る時、中年の男に声をかけられた。

初めて見る顔だ。

「畑中、ちょっといいか」

客ではない雰囲気を悟り、店長の望月に目を移すと、あまり表情を動かさない望月が口元だけで笑い、頷いている。

営業中だというのにボックス席に連れて行かれ、座らされた。

私の頭の中では何も考えていない。

「お前はサラリーマンだったんだろう。
なぜウチの会社に入った?」

「はい、先の見える仕事ではなく、自分で先を見えるようにしていきたかったので」

「この仕事に見える先はないぞ」

「だから、見えるようにしていけるんじゃないですか」

「結婚しているだろう。
カミさんは何と言ってる?」

「生きたいように生きろと」

「珍しいな。
続けていけるのか?
一度、水商売に入ると中々抜け出せないぞ。
ウチを辞めても、どうせ、また他で水商売をする事になる。
ずっと、ウチでやっていけよ」

意味が分からなかった。

私はウェイターに過ぎない。

「私は、プリンスを辞めたら、同じ水商売、どこでやっても勤まらないと思うので、二度と水商売はしませんよ。
ウチが最初で最後のつもりでやっています」

「プリンスが最初で最後か・・・」

店内で客が大騒ぎをしていた。

どうやら、コンパニオンがドリンクをこぼしたらしい。

私と男の視線は自然とそちらに移り、男が頷いたので、私は頭を下げて席を立った。

「アナタ、スゴイヨ!
アレ、ホンシャージチョウ!
ナニ、ハナシタカ?」

トレーに入った塩に手早くグラスの淵を滑らせながら、リンが興奮気味に訊いてくる。

「世間話だよ。
大した話は何もしていない」

「ワタシ、アナタノコト、ジチョウニ、キカレタ。
レジノヒトモ、キカレタ」

店長の望月からは何も聞かされず、パントリーのリンから彼が本社の次長であることを聞いた。

望月は朝礼の時と指示する時以外、ウェイターとは会話をせず、営業中はホールを見ていて、コンパニオンを呼び出し、何か会話をする。

楽しそうに嬌声が上がる事もあれば、女の子が泣いている事もある。

望月の指示は的確で、失敗してもそれを深く咎めず、直後に「それは違う」「今のは駄目だ」と一言強い口調で言うだけだ。

とても従いやすい。



八月のボーナス時期を抜ける頃、私には主任昇格の辞令がおりた。

八月二十日付で、私の入社六月二十一日からおおよそ二ヶ月目の事である。

その日から、殆んど掃除はしなくなった。

他店からの応援もなし。

店長の望月、主任の私、同期である社員三人、それに、アルバイトウェイターだけとなった。

出勤するとトイレ掃除だけは自分で行った。

チェックをして叱るよりも、その方が楽だと考えたのだ。

同期の連中は私よりも一週間前からいて、私に掃除の仕方を教えてくれていた。

武田は他社で三年も水商売をしてきている。

しかし、掃除をしている私も他の同期も、パントリーのリンに怒られるのだった。

「アナタ、シュニン!
ナンデ、ソウジ、ヤルカ!
アナタ、ミテテ、シジ!
ホカニ、ヤルコト、アルヨ!」

それをやられると皆、私に「掃除はいいから・・・」と苦笑して言ってくれた。

確かに私には他にやるべき事が沢山あった。
Posted by H (agent045) at 06:00 │第二話